南高梅について(1)

みなべには約1300年前、この地方を支配していた御名部(みなべ)内親王が梅を好んで植えたという伝説が残っています。また、江戸期に入ると、田辺藩主が梅の栽培に興味をもち、梅畑の税を免除したことからみなべ町内を流れる南部(みなべ)川に沿って梅林が広がっていきました。さらに、八代将軍徳川吉宗が紀州藩主であった時代に梅干しの保存を奨励したことからも、梅の栽培が盛んになりました。そうした歴史的な背景とともに、梅の栽培がみなべに根づいた理由は、よい梅を育てるのに適した自然環境が整っていたことが挙げられます。

 

みなべは紀伊水道に流れ込む黒潮の影響から気候が温暖で、1年を通して降雨量が多く日照時間が長いという特徴を持っています。また、約6000万年前に海から隆起したという過去を持っており、炭酸カルシウムを多く含む豊かな土壌を持っています。ですので、成長時にカルシウムを多く必要とする梅にとって、みなべの土は生育にうってつけだったといえます。

 

ひと口に梅といってもその品種は非常に多く、三百種類にも及ぶと言われていますが、南高梅は世界一すぐれた梅だと評価されています。明治時代末期、現在の南部梅林の基礎ができ、品種改良が進められる中、昭和35年、和歌山県日高郡みなべ町晩稲(おしね)に住む高田貞楠(たかださだすぐ)さんが、近所の勇惣佐七(ゆそうさひち)さんに「内中梅」の苗をもらったことから始まります。そこから栽培していた60本の「高田梅」のうち、非常に優れた一本を育て継いだものが「南高梅」です。

 

おいしい梅の条件とされる「皮が薄く、種が小さく、果肉が厚く柔らかい」という要素をすべて併せ持ち、ミネラル分も多いことから、全国に愛用者を増やしてきた南高梅。今では日本の梅の収穫量の約半分がみなべ周辺で収穫されたものとなっています。