南高梅について(2)

全国の梅の6割を生産する和歌山県。薬用にしたほか、酸の工業的生成法のなかった当時は、実から酸をとって、染め物の媒染剤や金属の研磨なあど、工業用にも使っていたとされます。

 

梅干し生産が本格化するのはその少しあと。庶民の間にも白米食が普及してからのことだといわれています。ご飯にぴったりと合う人気の高級品種「南高梅」は桃と見まがうばかりに大きく、うすい皮には絹のようなつや、果肉は分厚いという特徴を持っています。

 

栽培されていた梅のほとんどが小粒だった昭和初期、 もっとよい品種の梅に改良したいと考えた小山貞一(こやまていいち)さんは、昭和6年に原木として、町内の高田貞楠さんの梅園にあった大粒の実をたっぷりつける一本の木の穂木(ほぎ)をもらいます。
もらった穂木を手塩に掛けて大切に育て、苦労に苦労を重ねて「高田梅」の栽培を続けていきました。

 

戦後まもなく、この地に適し統一品種をつくろうという「梅優良母樹調査選定委員会」ができ、県立南部高校の竹中勝太郎さんが委員長になりました。そして、梅の大きさなどから、結局高田家の梅が最優良と判定され、63年、農林省の種苗名称登録に出願されました。そして、品種名を決める際には、「少しぐらいは宣伝になるだろう」として、竹中先生は学校の通称名である「南高」を選びました。

 

今ではその南部高校で新しい計画が持ち上がっています。南高梅は自分の花粉では受粉できず、近くに別品種の梅を植えておかないと実を結ばないという欠点があります。そこで、最新のバイオ技術を駆使して「欠点」を克服、南高梅どうしで実をならせたい、というものです。

 

自分の花粉で受粉できる梅を探し、その遺伝的背景をつきとめることから作業は始まっているそうです。まだ気の遠くなるほどたくさんの作業が残っているそうですが、新品種の名前を「スーパー南高」にすることは決まっているそうです。